文系の方々も「理」の心を(5)(再び、靖国神社に関して)
2004年12月26日
宇佐美
私は、『サンデー毎日(2004.12.26号)』のコラム「政経外科」に於ける、佐高信氏の安倍晋三氏を非難しつつの、石橋湛山氏に関する記述に感銘を受けました。
……湛山は『東洋経済新報』の一九四五年一〇月一三日号の「社論」にこう書いた。 「甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神社を廃止し奉れと云うそれである」 |
「謹んで靖国神社を廃止し奉れ」とはっきり自己の見解を公にされた、今は亡き石橋湛山氏に敬服し、僅か2ヶ月しか首相の座に留まる事が出来なかった不幸は、石橋湛山氏のみならず日本の不幸でもあったことを痛感しました。
佐高氏は、次のようにも記述しています。
湛山は安倍の祖父の岸信介がやった日米安全保障条約の改定に反対だった。一九五八年の夏、湛山は、 「現在の国際情勢を見ると、心配で夜も眠れない。日本国民はいつ戦争の不幸に再びまきこまれるかわからない。自分は病体を犠牲にしても平和を維持する努力をしたい。もしも世界の平和がそれによって保たれるならば日本は滅んでよい」 と演説している。湛山に傾倒した宇都宮徳馬はこれを聞いて「電気にうたれたような感動を覚えた」というが、…… |
この湛山氏の“もしも世界の平和がそれによって保たれるならば日本は滅んでよい”との見解に対して、大多数の方々は、“「日本は滅んでよい」などとは、とんでもない戯言、冗談でじゃない!”と大ブーイングを浴びせるでしょう。
でも、一寸待ってください。
“日本国の平和と繁栄の為に命を奉げよ、しからば、靖国に神として祀らん!”と『愛国心』『愛国心』を煽る事が正当化され賞賛され、“世界の平和の為に日本は滅んでよい”との見解が不当と非難されるの点に、矛盾を感じませんか!?
だってそうではありませんか?
「人が国の為にその人の命を奉げるが賞賛される」との論理からいったら、「国が世界の為に国の命を奉げること」は、同様に賞賛されてしかるべきではありませんか!?
否!
それ以上に!
何しろ、人が国に命を奉げる際には、他国の人たちの命を奪うことが前提なのに、国が世界にその命を差し出す際は、他国の人々の命を奪うことはないのですから、なんと素晴らしい平和への貢献なのでしょうか!?
私達は、湛山氏の二つの言葉をしっかりと胸に刻み込むべきと存じます。
改めて、その二つの言葉を下記に掲げます。
「謹んで靖国神社を廃止し奉れ」 「もしも世界の平和がそれによって保たれるならば日本は滅んでよい」 |
佐高氏は、この湛山氏の貴重な言葉を紹介しつつ、ジャーナリスト岩見隆夫氏が、サンデー毎日(2004年12月8日号)にて「言いにくいことを、よく言った」と礼讃している安倍晋三氏に対して、この湛山氏の“「靖国神社廃止の議」など読んでいないだろう”と非難しています。
実際、安倍氏も岩見氏も同罪と私は感じます。
何しろ、岩見氏は次のように安倍氏を持ち上げているのですから。
ジャーナリストであり、日蓮宗の僧籍を持つ宗教者でもあった石橋湛山首相が生まれたのは、一八八四(明治十七)年だから、今年は生誕百二十年になる。 …… ……石橋さんは、この事実上の遺書のなかで、 〈私が、いまの政治家諸君をみて、いちばん痛感するのは、「自分」が欠けているという点である。「自分」とはみずからの信念だ。自分の信ずるところに従って行動するというだいじな点を忘れ、まるで他人の道具になりさがっている人が多い。最もつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ。……〉と訴えている。 …… チリのサンティアゴで小泉純一郎首相と胡錦濤国家主席による一年ぶりの日中首脳会談が行われた翌日の十一月二十三日、自民党の安倍晋三幹事長代理は、岐阜市内の講演で、こう言い切った。 「国のために殉じた方々に尊崇の念を供するため、靖国にお参りするのは一国のリーダーとして当然だ。外国から行くなと言われる筋合いはない。今後とも参拝していただきたい」 前日の首脳会談の席上、胡主席は、「中日政治関係の停滞と困難の最大の原因は、日本の指導者が靖国神社に参拝していることだ」 と述べ、初めて参拝中止を強く求めた。小泉さんは、 「中国の立場は十分に理解する。誠意をもって受け止める」 と応じ、なぜこれまで参拝してきたかを時間をかけて説明したという。…… こういうとき、政治家はどう対処すべきか。自民党の実力者のなかで、唯一、安倍さんだけが、石橋メッセージが言う〈自分〉をはっきりさせた。つまり、信念を率直に披歴したのである。安倍さんは、同じ講演で、 「日本が中国の意に沿わない行動をとっているから、訪問しない(日中首脳の相互訪問のこと)というのはおかしい。成熟した国の取るべき態度ではない。会わないことで、相手国を屈服させるのは、まさに覇権主義だ」 とも語った。筋論である。 ◇自己保身ばかりの政治家は指導者になってほしくない 小泉さんの沈黙にならって、日本の政治家がみんな口を閉ざしたら、中国側は胡主席のひと言がこんなに効いたと思いこんで、軽蔑的な目を向けるに違いない。なめられるのである。…… 〈最もつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ〉 と石橋さんに言われても仕方ないのだ。 |
中国が日本の首相がA級戦犯の合祀されている靖国神社に反対する背景として、拙文《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)(補足:3)「中国とA級戦犯」》にも引用させて頂きましたが、文芸春秋:2001年9月特別号に古山高麗雄氏が書かれた「万年一等兵の靖国神社」にて紹介された、元中国大使の中江要介氏の「東京新聞」の記述と思っております
そして、今回は、その元中国大使の中江要介氏が、『週刊金曜日(2004.12.17号)』の「中江要介・元駐中国大使に聞く」の記事で、次のように語っております。
……靖国参拝は、被害をこうむった国々に対する日本の戦争責任をうやむやにし、かえって日本の侵略戦争を正当化するものと受け取られがちだ。日本はサンフランシスコ講和条約で極東裁判の判決を受諾した。これは戦争責任の所在を明確にした点で歴史的意義がある。A級戦犯に責任がないなら、裁判の公平性に問題があったというなら、日本人みずからの手で責任の所在を明確にすべきだが、それもしていない。 いったい誰に責任があるというのか。周恩来首相(当時)は日中双方の人民が一部の軍国主義者の犠牲者だったとして日中国交正常化に踏み切り、賠償請求権も放棄した。日中復交の出発点はここにあり、この歴史認識の共有なくして両国の友好協力もない。 |
更に、中江氏は次のように語っておられます。
小泉首相も彼らも、大戦中、日本は中国に対し加害者だったという事実を忘れている。 日本軍が遺棄した化学兵器だけでも七〇万発にのぼり、まだ中国各地にゴロゴロしている。そらぞらしい反省と遺憾の言葉をいくら繰り返しても意味がない。本当に責任を感じ、謝罪の気持ちをもっているかどうかが問題で、その気持ちがないから、安直にODA(政府開発援助)無用論が出たりする。 |
安倍氏も小泉氏も(岩見氏も)、この中江氏の発言内容をご存知だったのでしょうか?
若し、ご存知でしたとしても、この中江氏の発言に反論できますか?
“周恩来首相(当時)は日中双方の人民が一部の軍国主義者の犠牲者だったとして……賠償請求権も放棄した”としても、中国国民の大多数は、“日本は中国に対し加害者だ”と認識しておられるのが当然ではありませんか!?
なにしろ、今もって“日本軍が遺棄した化学兵器だけでも七〇万発にのぼり、まだ中国各地にゴロゴロしている”というのですから!
この中国国民の日本に対する非難不満を、中国首脳部だけで説得し排除することが可能ですか?
強権で強引に押さえ付けて達成できるか否かの大問題ではありませんか?
中国政府ではなく、逆に、加害者側の日本政府自身が中国国民を説得、慰留すべき問題ではありませんか?!
なのに、朝日新聞の記事(12月3日付け)には次のように書かれています。
11月4日、王毅(ワンイー)駐日中国大使が赴任のあいさつで、首相官邸に小泉首相を訪ねた。しかし、表敬訪問のはずの会談は激しい応酬となった。 王大使「首相の靖国参拝は『A級戦犯が戦争の責任を負い、その他の人民は被害者だ』という日中国交正常化の論理を壊してしまう」 首相「米国もロシアもA級戦犯について何も言わない。なぜ中国だけこだわるのか」 |
この記事から小泉氏は、この王大使発言(即ち、「靖国参拝」に対する中国側の非難)が、中江氏が紹介されている、一九七二年、田中角栄首相(当時)が、日中国交正常化のために訪中したとき、周恩来首相(当時)が下した大決断に、その源があることを、悲しい事に、全くご存じなかったことが暴露されてしまっているのです。
と言うことは、愚かにも、安倍氏も岩見氏も同罪と言うことでしょう。
(そして、また、悲しい事に、この記事を書いた朝日新聞も、周恩来首相の発言に触れていないのですから、ご存じないのかもしれませんね!?)
そして、愚かな岩見氏は次のように記述しています。
……安倍さんは、同じ講演で、 「日本が中国の意に沿わない行動をとっているから、訪問しない(日中首脳の相互訪問のこと)というのはおかしい。成熟した国の取るべき態度ではない。会わないことで、相手国を屈服させるのは、まさに覇権主義だ」 とも語った。筋論である。 ◇自己保身ばかりの政治家は指導者になってほしくない 小泉さんの沈黙にならって、日本の政治家がみんな口を閉ざしたら、中国側は胡主席のひと言がこんなに効いたと思いこんで、軽蔑的な目を向けるに違いない。なめられるのである。…… |
全くあほらしくなってしまいます。
この安倍氏について、佐高氏は前掲のコラムで次のように書いています。
たしかに湛山は「自分」が欠けている政治家をつまらないと言ったが、未発達な「自分」を振りまわされても困るのであり、私には安倍こそがその典型に見える。 |
(本当に、こんな人が、次期首相候補と持ち上げられ、又、こんな人を持ち上げる岩見氏が日本のジャーナリストのトップクラスだなんて!!
日本の行く末が案じられます。)
“筋論”は、安倍氏ではなく、中国側の態度ではありませんか!!
(筋論:物事の筋道を通すことを優先する立場の理論(大辞林より))
今回の“小泉さんの沈黙”は、田中、周恩来両首相(当時)の日中国交正常化への基礎となった周恩来発言を、中国側から懇々と説明されたからではありませんか!!
そして、“日中国交正常化への基礎となった周恩来発言”に対して無知であった小泉氏は、胡錦濤国家主席との日中首脳会談に於いて、大恥をかかれたのではないでしょうか?
この周恩来発言を無視するのなら、中国側は、日本側へ賠償請求を持ちかけてくるはずです。
それでは困るから、小泉氏は沈黙したのではありませんか?!
小泉氏の“心ならずも亡くなった先人に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをするということで参拝している”的な発言は筋違いも甚だしいという事です。
更に、呆れた事に、小泉氏は、A級戦犯については国会でも“死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはなじまない”とほざいていたのですから!驚きです。
小泉氏は、靖国神社の本質をご存じないのですか?
靖国神社のホームページには、次のように記されています。
……明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。 |
(祀る:神としてあがめ、一定の場所に安置する(大辞林より))
若し、“死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはなじまない”と小泉氏が本気で思っているなら、(日本の国を守る為?)日本と一緒に戦ったヒトラーも靖国神社に祀られてはいかがですか?
ヒトラーの件は兎も角、靖国神社では、A級戦犯の方々を「神としてあがめ」ておられるのです。
この靖国神社へ、日本国民の代表である小泉首相が参拝することは、
「今もって、日本国民はA級戦犯(軍国主義者)を神としてあがめている」 |
ことになります。
そして、このことは、「私達日本国民は、A級戦犯(軍国主義者)と一丸となって、中国人身を犠牲者とした」と言うことになってしまいます。
これでは、周恩来首相(当時)の
“日中双方の人民が一部の軍国主義者の犠牲者だった” |
との発言主旨を逸脱してしまいます。
このような事情を踏まえてまでも、安倍氏が「国のために殉じた方々に尊崇の念を供するため、靖国にお参りするのは一国のリーダーとして当然だ。外国から行くなと言われる筋合いはない。今後とも参拝していただきたい」と発言するのなら、先の戦争で「日本は中国の加害者ではない!日本の戦争は正当なのだ!」との信念をお持ちなのでしょう。
そして又、「日本が中国の意に沿わない行動をとっているから、訪問しない(日中首脳の相互訪問のこと)というのはおかしい。成熟した国の取るべき態度ではない。会わないことで、相手国を屈服させるのは、まさに覇権主義だ」と中国に対して強い抗議を発するからには、米国の高官たちが“卑怯な日本の『真珠湾攻撃』” (例えば、9.11同時多発テロの際のブッシュ大統領) と発言する度に、安倍氏は“否!日本は卑怯ではない!日本は正当な戦争を仕掛けたのだ!”と米国側に抗議して来たのでしょうか?!
そして、広島長崎への原爆投下、東京大空襲に対しても米国の不当性、非人間性を抗議して来たのでしょうか?!
一方、周恩来首相(当時)は、戦争責任者を(好意的に譲歩して?)「一部の軍国主義者」に限定されているのです。
そして、王大使は「首相の靖国参拝は『A級戦犯が戦争の責任を負い、その他の人民は被害者だ』という日中国交正常化の論理を壊してしまう」との見解を発して、戦争責任をA級戦犯だけに限定されているのです。
戦後、中国では、裁判によって多くのB級C級の戦犯の方々が処刑されています。
そして、その方々の霊は、靖国神社に祀られています。
なのに、中国側は戦争責任をA級戦犯者に限定して、BC級戦犯の方々の分祀を求めてはいません。
この面からも、中国と(小泉氏や安倍氏が代表する)日本とどちらが、「成熟した国」であるかは、明らかと存じます。
そして、又、小泉首相の“ヒトは死んだらみな仏になる”見解は、仏教的発想であって、霊魂を神として祀る靖国神社の趣旨とは異なっています。
更に、靖国神社のホームページには、次のように記述されているのです。
ご先祖さまが残してくれた日本のすばらしい伝統と歴史がいつまでもいつまでも続くように、と願って、戦いに尊い生命をささげてくださいました。 日本が今、平和で栄えているのは、靖国神社の神さまとなられた、こういう方々のおかげなのです。 |
従いまして、小泉氏の“心ならずも亡くなった先人に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをするということで参拝している”との発想も靖国神社の趣旨とは、ずれています。
(哀悼:人の死を悲しみ悼むこと(大辞林))
何故?
靖国に祀られている方々は進んで国の為に「尊い生命をささげてくださった」のですから、その方々を、「心ならずも亡くなった先人」と思ったり、又、「哀悼の誠をささげる」のでは、祀られた神々に失礼です。
更には、次のようにも記述されています。
国事に殉ぜられた方々を奉斎し、祭祀の厳修によってその「みたま」を奉慰顕彰する、という靖國神社の本旨は悠久に不変であります。 |
ですから、小泉首相の「心ならずも亡くなった先人に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをする」との尊い思いを実現するには、「靖国神社」では不適切なのです。
なにしろ、戦争犠牲者は「国事に殉ぜられた方々」だけではないのです。
原爆、空襲、又、沖縄、大陸などで命を落とされた方々が沢山おられるのです。
この面からも、湛山氏の提議“謹んで靖国神社を廃止し奉れ”を直ちに実行に移すべきなのです。
(靖国神社が、1952年8月に宗教法人靖国神社の設立を公告した時点で、湛山氏の提言は、少なくとも公的には、実行されているべきだったのです。)
更には、日本軍の為に、多くの中国人など外国人が心ならずも亡くなっておられるのです。
従って、小泉首相は「心ならずも亡くなった(日本国民のみではなく、外国の方々も含めた)先人に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをする」為に、「靖国神社」とは別に、公的な施設を建設すべきなのです。
そして、そこでは、今靖国神社で祀られておられる方々の他に、原爆、空襲、又、沖縄、大陸などで命を落とされた方々や、外国の犠牲者の霊を慰めるのです。
勿論、小泉氏の持論“ヒトは死んだら、みな仏になる”や“死者に生前の罪まで着せて、死んでも許さないというのは、日本人にはなじまない”を実践して、A級戦犯の方々(たとえ、ヒトラーのような人々も含めようと私は異存がありません)の霊も慰め、「彼ら先人に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いをする」のです。
但し、この「不戦の誓いをする」為には、戦争責任をA級戦犯だけに押し付けず日本国民全員が背負うべきです。
そして、湛山氏の提議
“もしも世界の平和がそれによって保たれるならば日本は滅んでよい” |
を全世界に向けて誓うべきなのです。